駄文の溜まり場

最近なんでもすぐ忘れるので

蒼井優さんかわいすぎる、キューブあげます

 

 

 

 

『スパイの妻』を観た。黒澤清はそこまでハマらずともゆるく新作や旧作を追っている。

 

序盤のドラマみたいなつくりから、段々と映画になっていく。高橋一生のどこか馴染んでないセリフの言い方が不和を感じさせる。

 

コスモポリタン、万国共通の正義といいながら身近な人の生活を守れない福原は卑怯に見える。人々のささやかな生活のために正義を通すのに、自身はそれを壊していく様が痛々しい。誰の何も背負わず正義だけを背負っているので、船からこちらに手を振るのみ。彼はささやかな生活から離れた海にいるひとでしかない。海の上には誰の生活もない。彼はそこを漂う。そしてこちらに手を振っている。

とても大きな大望に取り憑かれて、近しいものを切り捨てる福原は軍人たちと本質は変わらないのかもしれないとすら思う。

 

 

正面からのカットが何度も挿入される。その不気味さがこわい。その度に聡子が向き合っていたのは、船から手を振る福原だったのかもしれない。

聡子はよく動く。不自然なはずの舞台のような動線を自然に動いて見せる蒼井優さんはほんとうにすごい。何よりとってもかわいい!

聡子はささやかな生活を望み、それは福原とは噛み合わない。

何も知らなかった彼女は色んなものを見るようになる。見方がかわっていく。

 

この映画には、しつこいくらいに映画を観る人々が映し出される。そして観客はそれを観る。聡子も自身が映る映画を観る。

貨物船の箱の中の細い一筋の光は、映画を映写するときの光にも似ている。聡子はあそこから世界を観て、初めて観られる側から脱却することができたのかもしれない。福原の目にはなれていないし、それは無理なことだった。

 

その後裏切られたこともわかり逮捕される。スクリーンでまた自分を観る。そのスクリーンの前に立ち塞がって笑う。ただ映画を観るだけの人々、大きな何か(国でも大望でも)に突き動かされるだけの人々を否定したようにも見える。

 

 

映画を観て感情移入することは、一種の洗脳でしかないと思う。わたしもそれが心地よいので映画を観に行く。それは戦時中の人々の考えや、現代でもある国による洗脳の姿にも似てる。映画はとてもよく似ている。だからこそ、映画を観る人々を何度も客観視させて、聡子で遮ろうとする。

 

最後に聡子は海で泣く。福原が浮かぶ大望が海のようなら、聡子が取り残されたのは人々が生活していく地上の端。でもそこからは動けない。空からは爆弾が落ちる。八方塞がりでどうしようもないけど泣く姿は、どの登場人物よりも生きていることを感じさせる。

 

蒼井優さん優勝です!ほんとに好きです!