池袋の新文芸坐にて、バイト先で仲良くなった女の子とオールナイト上映で「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」
の3本を観た。
文芸坐のタルコフスキーのオールナイトは二度目で、前回は数年前に「アンドレイルジュロフ」みたいな名前のやつと「サクリファイス」ともう一本だったように思う。
オールナイト上映は他にアピチャッポンとパラジャーノフで訪れたことがある。
私は好きな作家を聞かれるとフェリーニと答えるので、似たような系譜としてタルコフスキーやヴィスコンティとかも好きなの?と返されたりもするけれど、その2人は肌に合うわけでもないのでこういった機会に半強制的に自分に観させている。
タルコフスキーの映画は正直どれも苦手で、長いし眠くなるのだけれどこれを観て自分がフェリーニを観ている時のような、全身がこわばり後に緩むような感覚になる人は多いのだろうなということはよくわかる。
今ちょうど、タルコフスキーの著書を読んでいる。それを読んでいるとこいつのことが好きかもしれない、とは思ったけれどやはり映画は苦手だった。
静かに、けれど情動的というように水や炎や風を請け負う家や人間たちを描いている。
(サクリファイスにおいて家が燃えるように)
(鏡にて母が水を浴びるように)
人間とエレメント的なモチーフがどのように交わり合い、肉体や物質としての境界を一つの絵画のように画に収めていく力はタルコフスキーしか持っていないように思う。
フェリーニはもっと画面の中を漂うように浮遊するイメージが多く、映画を観ながらぼんやりとできる。
自身の記憶を彷彿し続けるような相互関係を前提に映像が在るようなものも私は好きで、タルコフスキーは厳かすぎるから苦手なのだと思った。