最近ある機会でちょっとした文章を書きました。めんどくさくて、どうでもよくなってきて、文章を仕事にするのは嫌だなと思いました。なんでも仕事にするのは酷です。
誰かのために、自分のためにやることは大事かもしれないけどそのどちらでもなく今日も記録してます。でも日記をつけ始めたせいでブログは書かなくなっていました。
一ヶ月前に「プロメア」を観てどハマりしてリピーターを極め、8回めの鑑賞となりましたがまだまだ満足できずに映画館に通おうと思います。同じ映画ばっか見てなにがしたいのと思われるかもしれませんが、2回め、3回め、で違う見方ができるということがおもしろいのかもしれません。
でも、それ以上に映画を認識して記憶するのがわたしだとしたら逆に映画にもわたしの記憶が染み付いていってるんです。
初めて観た時には感動しかないけれど、また何年か後に観た時には初めて観たわたしと、その時に感じたことが映画を通して想起させられるものだと思うんです。
完成してパッケージ化された映画が、自分の力で姿形を変えることが、なんだかおもしろいです。
もう2度と観ない映画だとしても、その映画がわたしの中で記憶の断片になったり、映画の中に当時のわたしが閉じ込められていたり、お互いが記憶の器になれるものが映画だと思ってます。
それが昨日観た映画でも、明日観る映画でも、今観る体験は毎回違うものなはずです。その映画が器として自分との相性がよければよいほど。わたしはいま観たい映画に、好きな映画に自分を託していくことが心地良いんだと思います。
追加【特に関係ないこと】
そういえば少し前、何年か前にわたしが書いたものを褒めてくれた人とお話をしました。わたしの書いたものだから読まずに判断されたりすることもあって本当に深く傷ついたこともあったけど、ちゃんと読んでくれて、覚えていてくれて、よかったなって思えました。何気ない優しさとたまたま読むことになったわたしの書物へ誠実な向き合い方をしてくれたことにすごくすごく嬉しくなりました。
優しい人が繋げてくれたものは優しい。わたしはそれに甘えてばかりですが、あまりいじわるな人ばかりじゃないと、妙な繋がりがあるもんだと信じていたいです。