駄文の溜まり場

最近なんでもすぐ忘れるので

家は箱に過ぎず、それでも光を変える

 

 

タイトルの通り、本当にそう思う。

10年ほど前、映画を好きになって見始めたことを思い出す。

自分はほとんどの人が見ないような量の映画を見ていて、映画に費やす時間も異常と言える程なので何がきっかけで、どうして映画が好きなのか疑問を持たれることはよくある。

自分も同じような人に出会うと何でこんな人間が…とつい思い、経緯を聞いてしまう。

 

10年経つと映画を好きになってすぐに見ていたような名作たちを見返すターンに入ってくる。

最近だと「博士の異常な愛情」「ピアノレッスン」なんかもすごく久しぶりに観た。

それらは映画館ではなく、女子高生だった自分が実家のテレビでDVDを借りたり録画をして観たものだった。

自分にとって映画は、最初は自分の部屋で平日の昼間に、学校に行ったり仕事をしたりしている人々を無視して、ベットの前に座りPS2にDVDを入れて見るものだった。

そんなことをしていることは話さず、自分の好きなものをアピールして自己を獲得する気はその時から全くなかった。今ではそういう人を卑しく嫌うようになってしまったけれど、当時はそんなことすら考えないまま若く有限とされる時間を映画に使うのは何となく正しいだろうということは既に信じることができていて、それは現在の自分と当時の自分を繋いでいる。

そもそも、自分には自己をアピールするというような欲望が薄いのかもしれない。SNSは好きでよく使うけれど。

 

たまたま観たフェリーニの「道」を観てからこんなものがまだまだあるのかもしれないと映画を見漁るようにはなったけれど、これを越えるものはない。

その後、すぐにネオモアリスモというものをインターネットで知りとにかくそこからたくさん観た。ロッセリーニの「無防備都市」、デシーカの「自転車泥棒」など昔の映画にばかり惹かれてよく観ていた。そこから何となく映画史を把握し始めて、ヌーベルバーグを観る流れになっていった。

当時は配信なんてものは栄えていなかったのでTSUTAYAかGEOで映画を探す必要があった。何件か周り、目当てのものを借りたりとにかく映画にだけは労力を使った。

フェリーニの「ローマ」を観て、初めてストーリーのない夢のような映画を知った。自分が理解できないだけかと思ってこわくなった。

鈴木清順の作品もよく観た。夢のようなものがあるということを知っていくと、映画をもっと好きになった。

高校二年生くらいになった時にはほとんどの名作は観れてはいたように思う。

今までソフトが手に入りにくかったベルイマンがGEO貸し出し開始され、すぐに借りた。厳かなベルイマンの作風に対し、自分が今までしたことのないようなのめり込み方と、物凄く真剣に何かを受け止めることを知ったように思う。そしてそんなことはする必要はなくて、いよいよ少しズレ始めていると思い、自分は自分の生活には興味が向かないのかもしれないと気づいた。

 

ここまでの流れで映画を好きになっていったということはよく覚えていて、大学生になりバイトで稼げる額も増えて映画館で映画を観るようになる以前の準備体操のような期間を懐かしく思う。

 

歳をとって社会情勢も含み色々なことが変わったけれど、映画を観ることに対し変わることはなかった。経験や活動は変わるけれど、変わることのないものを持っていることができることは自分を支えてくれてはいる。

何も干渉することができない、普遍的なものを持っている人と話していると楽しい。その時に言葉は意味を超えることができないと、分別や境界について楽になる。

とにかく人と話すことで苦しくなることが多く、正直遊びも誘われたくないと思うことがよくある。

 

映画を好きな友人はあまりいない。それで困るというようなことはない。親しくても映画が好きということすら言わないことがある。

自分にとって映画はどれだけ大事で、どうしてこんなにも労力を費やして、それを労力と思わず稼働できるのかわからない。

どう説明すればいいかがわからない。

自分の生活の在り方を指摘されたとしたら、どうすればいいかわからない。

それでも生活が映画を観させてくれなくなったら投げ捨ててしまうと思う。

映画に時間を使い過ぎているのかもしれないけれど、自分ではそうは思えないでいる。

 

それでも最近、何かに辿り着いたような気がしたのでそのことを書いておきたくなった。

自分が映画を観ていた時、ちょうど父も仕事がないだかでよく家にいた。自分も学校に行っていなかったのでお互い見て見ぬふりをしてやり過ごしていたのだけれど、本来いてはいけないころにお互いにいる歪さを家が包んでいた。

お互いによく知る人間同士ではあれど、理由も聞かないし会話もしない昼間の時間、私は映画を観ていた。

あの時の自分も、父も役割から解放されたお互いに知らない人間同士のようだった。

娘であること、父であること、学生であること、社会人として仕事をすること、全ての役目から解放されてしまっていた。

私はその時の自分が、とても懐かしい。横浜の静かな田舎の家に差していた光が、とても懐かしい。

団欒もできず、食事も一緒にできず、自分の家庭や家族との関係は一般的なものではないとは思うけれど同じ光が私と父を、家族を照らしていたということを知った。

 

それは、10年経って大人になった自分がその時間を思い出したからだった。

映画は音や光をめざとく感じる行為で、自分はそれを異常なくらい繰り返している。物事を理解することに時間がかかるように、消化することに時間がかかるように、以前居た場所の風景や光が、もっと多量を得た時に生まれ変わるでもなくやっと理解ができる、感じることができるということは確実にあるということがよくわかった。

何を言ってるんだろうと思われても、文章や言葉は直接伝えるでもなく紡ぐことで浮かび上がらせるものだと思う。

 

誰にも役割はない、そこに個人があり、家という境界があり、その中にいたとしても役割や関係はないといえば、ない。

そういったことと向き合うことと、誰でもないことに気付いた時の穏やかさをまた思い出すことがしたい。