自身の人生をたまに省みる。
転職を試みているからだった。
最低時給で働き、自由にお金を使うことができない人は不幸だろうか。
自分がそうなっていたら、不幸になってしまったと思われるのだろうか。
人生自体が悲劇であるように思われるのだろうか。
また、自分自身はそう人を判断していないかということも考えた。
先日、大好きな映画「トニー滝谷」を観に行った。上映後には制作スタッフと犬童一心監督のトークショーもあり、それも素晴らしかった。
「宮沢りえは市川準監督について、かけがえのない人です と言っていた」
この言葉が私の中で映画とは別に鳴り響いていた。
かけがえのない人物と巡り合い、そう思えることに人生の豊かさはあるのかもしれない。
それを抱えて生きていけることが幸福だと、その言葉が気づかせてくれた。
かけがえのない、というのはその人にお金があってもなくても、また自身がみじめだとしても大切なことに代わりはないということと近いように思う。
常に幸福でいて欲しいと願うことと、その人と会話し、姿を見ていた時間は過去と現在の願いを超えて手を繋いでいる。
その手を繋がせているのは、自分自身だ。
私が不幸とされてしまっても、繋ぎ合わせる力を持ち合わせることができたということだけは幸福だと言ってもらうことはできないだろうか。