祖母からよく花束をもらい、祖母もまた花束をよくもらっていた。
花束をもらうと、花が好きだった祖母をつい思い出す。
祖母へと思い馳せることは、私が幸福だった時期を思い起こすことと同義だった。
二年間お世話になった職場を退職する際に、花束を頂いた。優しくしてくれた前の部署の男性社員の方々からだった。
「嬉しくて泣きそうです」
とつい言った私の言葉は嘘ではなかった。親切さや、手間をかけてくれたことが本当に嬉しかった。
花束を貰うと、いつも嬉しい。何時貰っても、それは新鮮に嬉しく慣れることなどなかったし枯れてしまうからこそ、なんだか嬉しかったというぼんやりとした気分だけが残る。
派手好きな祖母は、私のピアノの発表会では持ち帰れないほどの花束をくれた。家で渡せるのに、わざわざ会場に持ってきてくれた。演奏を終えると大量の花束を抱えていたことをなんとなく覚えている。
その花束は家へと持ち帰られ、これまた大量の花瓶へと収められていった。
そしてまた、祖母の誕生日の1月には祖母の恋人から本当に大きな薔薇の花束が届いていた。(彼は社長であったが為に)
私は全家庭には1月には薔薇の花束が届くという間違った認識をしたまま育ってしまった。
とにかく、花というものは祖母との生活を最も思い起こすものだった。
祖母は私が大学二年生の時に亡くなった。一緒に暮らしていたのは高校二年生の時までだった。私は学校に行けなくなり映画を見るだけになり、父は職を失い家族はそれぞれがふらふらと過ごすようになった。
特に私と父は本当にダメになった。少しの行動を間違えれば怒鳴られ、大きな物音を立てられ、祖母がいなくなってから最終的には私と父は一緒に暮らすことが不可能にまでなってしまった。
今でもその時の生活を思い出すとどうしてそんなところで過ごせていたのかとゾッとしてしまう。
「自分が言われて嫌ではなかったから、言ってはならないことややってはいけないことがわからない」
これは父が私に言った言葉だった。父親は失踪し、母(私から見て祖母)は父を置いて遊び歩くという機能不全家庭に生まれ育った父は、自分の異常性すら自覚できないまま父親へと変わってしまった。
私は生まれてきても、父親はずっと孤独だということが伝わりすぎてしまった。それでも、父親のことを許せずにいる。これは父親が死なないとどうすればいいかもうわからないほどになってしまっている。
父の孤独と、それを請け負わされた私の苦しみは全て祖母から始まっている。それでも私も父も祖母のことを深く愛していて、祖母と過ごしていた頃まではよく笑っていた。
その理不尽さを、おかしさを、押し除け幸福は確かに在った。
花束を貰うと、幸福さを思い起こす。それはいつも苦しみや孤独を押し除け、私の前に受け渡される。
花束をくれた人のために、なるべく元気でいたいと思う。また、思い出せたらという希望になって。