不眠症なので文章を書く。
今の職場を辞めようと決めてから心が晴れやかになった。
飽き性で仕事が続かない私の職歴の中でも、今の職場は最も良質であるとは思う。
ただ、対外的なものと自身の内在的なもののバランスというものが大事なのであって、それが崩れだすとそこには居ない方がいいということになる。
どんなに環境が良くても悪くても、結局は自分との相対の関係で折り合いをつけるしかない。
だから良い環境に居続ければ良い結果になる、ということでもない。
それとどれだけ関係があるかはわからないけれど、悩んでいる。平たくいうと、眠れない。
なぜこうなったのかはわからないけれど眠ることが難しい。眠ってはいるけれど、眠ることを難しいと思ってしまう。
疲れが取れず、呼吸が浅い。自分なりに対策を練ったけれど改善は今のところあまりしていない。
全く眠れないわけではなく、眠りにくい日が多いという状況が続いている。集中力もないので、本を読んだり何かをしていることができない。
気持ちがダメになりそうな時は以下のことを忘れないようにしておく
①それでも何かを見ることをやめない
→映画を観ることなど。感動できなくても、感動できない自分に絶望しても。見ることに価値がある。何も得なくていい。
②ひとと話す
→よく選んで話すこと
③ひとを嫌いになる
→仕方ないことだから
あとはよくなるのを待つだけ。
不安で眠れないのは子どもの時からだったようにも思う。常に気持ちは緊迫していて、安らぎを知らないまま大人になり、知らないままどうにでもなる生き方を学んでしまった。
安らぎを知らないというと大袈裟だが、安心感を思い出そうとしてもそれは幼少期の記憶とは繋がらない。
そうするとできあがるのは、いわゆる苦しみに耐性がある強い人間というわけではなく、苦しみを苦しみとして認識し、受領する能力の低い大人だった。
後者は会話で他人を傷つけやすいように思う。
自分もそうだと思う。自分は苦しみだと思わないからこそ、共感能力が低い。
私には忘れられない記憶があって、それはひとり暮らしを始めてから母が私に会いに神楽坂までやってきた日のことだ。
私は神楽坂周辺に住んでいて、都内に慣れているけれど横浜からあまりでることのない母は湧き上がっていておしゃれな色とお皿の中華を食べさせてくれたり、私だって普段は行かないような可愛いカフェに連れて行ってくれて気付けば10000円分くらいご馳走してくれていた。
「そんなにいいよ」
といってもご馳走してくれた。
土日だから人だかりがすごく、その日は絵に描いたようないい天気、というか、いい天気というと空ばかりをいうようだけれど地上の私たちを取り巻く空気や湿度ごといい天気だった。
和菓子屋があれば、買ってあげるから寄ればいいと言われたり、とにかく何かを与えたがった。
私は幼少期から何かをもらうことに熱心ではないので断ってはいてもそれなりに何かを買ってもらってしまった。
土日だから人だかりがすごく、と前述したけれど、もしかしたらこれは違和感のある言葉かもしれない。人が多いなと感じてしまうのは私が土日が休日ではない生活を長くしているからだった。世間ではこの人だかりの中で休日を過ごすのは当たり前で、平日の昼間に白昼夢のような街を歩いている自分の方こそおかしいのかもしれない。
絶対に無理というわけではないけれど、土日の街並みに気が滅入ってしまう。全員が楽しむために街を歩き、楽しむために電車に乗る光景に滅入ってしまう。自分だけがそこに入れていないという被害妄想と、人を人と思わずに楽しそうと決めつけてしまうことも良くないのだけれどそうなってしまう。
母とは16時くらいで別れた。母は車で帰って行った。暖かい季節だったので、まだ明るく昼間のようだったので家に帰っても日が差し込んでいた。
この日は楽しそうな街並みに滅入ってしまうこともなかった。思えば幸福に関する全てが揃ったような日だった。
その時に歩いた時の、天気の良さを思い出すことができる。母が亡くなる時がきたら、この日を思い出すだろうなと思った。
神楽坂周辺のアパートに帰って、私はすぐに眠ってしまった。幸福な記憶が遠のく眠りにこそ、安心はあるのだと知った。
その時の眠りの良さを今も覚えている。眠れない日々の中であの時のように眠れたら、と思っている。
どうしてあの日のように眠れないのだろう、と思ってしまうのではなく、一度ああやって眠れたのだからまたいつかは眠れるだろうという希望になるように文章を書いた。