自粛してます
外に出れる時のインターネットは閉鎖的になる為に必要だけど、自分が閉鎖してるときのインターネットは割と苦痛。
でもおもしろいスレに出会える喜びも知っているので2ちゃんも見るしSNSも見る。
たのしいことしかSNSに載せない人も、嘘をつくししらばっくれる。
政治に物申してるひとも、金を返さない。
②政治に物申してるひとも、目の前のひとに怒れない。知識と正論ではわたしは楽にならない。
立派な社会人!ってひとも、遅刻を謝れない
などなど。わたしはこのひとたちとひとつになれない。オリンピックは伸びる。
何もないから、死にたくないしバイトをぜんぶ休んでる。
いろんな事情があるんだろうけど、中にはわたしがいなきゃ、わたししかできないことだからって動く人がいる。それがなくなっちゃうとその人は自分を保てなくなると思い込んでる。
わたしにはプライドもできることもほんとになんにもない。誰にでもできることさえできれば嬉しい。でも、自分にしかできないことを自分の支えにして生きてるひとがいるからわたしは誰にでもできることをしてれば安心できるんだなと思った。
なりたい自分になれない人がほとんどな中で、わたしは周囲の人を好きだと思う。
それなら、なりたい自分になれなかったひとばかりなのにいい世界だと思う。
いらない仕事はない、風俗も、ホストも、アイドルの音楽も、高尚な映画も、ぜんぶお金で繋がってる。お金が発生する時点で、わたしが風俗いかなくてもわたしとそれは繋がりがある。
黒澤明の生きるにでてくる、ぬいぐるみ工場で働く人のセリフ『これをつくってるだけで世界中の赤ちゃんと仲良くなれてる気がする』みたいな感じのセリフが好きです。
(特別黒澤明が好きなわけでもないけれど、未来を予見したセリフと映画だと思う)
だから、どの仕事も否定できない。食いっぱぐれるのが悪いわけじゃない。簡単に切り捨てられる人を、仕方ないと言えるひとをこわいと思う。
社会にできることはないけど、目の前のひとを気にいるか気に入らないか見定めて保護することはできる。
でも、外に出たいと思わない。知らず知らずに人と関わることにめちゃくちゃ疲れていたのかもしれない。どうしたって自分の生き方について考えさせられる。自分のいのちは、しごとは、いるのか。たぶんいらない。それがまたわたしを楽にしてくれる。ど正論より、知識を言うひとより。(知識をいうひとと、自分の意見をいえるひとは別だ)
みんなもっと思ってることを聞きたい。ネットの上でも、どこでもその人の言葉は意味を持つ。どんなかたちであれ、言葉をだすひとがわたしは好きです。