絹より木綿のハンカチーフ、豆腐は逆
原一男のドキュメンタリーみた。ドキュメンタリーあんま好きじゃないからほっといてた作品たち。ほんとにおもしろい。夜な夜な夢中でみたら朝になっていました。
『極私的エロス』でみゆきが言うセリフが印象的だった。子供に対して大らかに育つよりも挑戦的で戦慄すべきだみたいな。
自分のなかの甘えを突かれた気がした。大らかに生きなきゃいけないっていう強迫観念のなかわたしは生きてる。
みゆきさん曰く、そんなのはいてもいなくても同じらしい。その通りだと思った。
出てくる登場人物は皆んな異常者。でも、こんな力強く在ったひとがいたんだと、ただただ感動しちゃった。
てか、子供産むのってまじで大変だし痛そうだしこわいんだなと。
コウノドリ観ても、他の出産に関する映像や言葉からは感じることができなかったものを感じた。
子供産むのめっちゃこわい、だからすごい。おんなやべー。
普段アイドルや綺麗なおんなのこの集団ばかり見ているので、『極私的エロス』にでてくるおんなたちも描かれ方も、すべてに受け入れにくさを感じた。
その心地悪さと棘がわたしが逃げてたものの正体なんだと気付いた。
みゆき近くいても絶対仲良くならない。絶対関わらない。だから映画で観れてよかった。
スマホで映画観ることに慣れてきました。映画館で映画を見ることが体感なら、スマホで映画を観るのは、情報を得る、に近いんだと思います。
映画館で観ることが作品の画面や音に包まれるんだとしたら、スマホから見るのは映画の要素を探す行為。受け入れることに集中し、見つける行為。
情報を得ていくので、自然と考えます。考えることは、情報を得ることから始まる。