駄文の溜まり場

最近なんでもすぐ忘れるので

なんでこんなブログ書いてるんだろ

 

 

 こんなブログ始めて、2年とちょいが経とうとしてます。不定期更新で、こんなことしてるの精神が病んでるんだなって思われてるんだと思います。 

誰に読んで欲しくて書いてるわけでもないんです。ただ、ニュースで誰かが殺人されたときにあの人はいい人だったって絶対に対して親交のなかったようなひとが言うのが許せないから書いてる。

みおかちゃん、いいひとだったんですよ。同じ地元だから、悲しい。とか言われてわたしが判断されるのは嫌だから意思表示は残しておきたい。

現代は簡単に生きた証を残せるから。アーティストでCDをださなくても、映画をとらなくても、テレビにでなくても。たかがブログで生きた証とか言ったら大したことのようだけど、人が言葉を綴ることはそういうことだと思う。

 

死んじゃえば身体は骨になるしいつか灰になる。大抵がお墓にいく。でも精神の墓場はその人が残した言葉らしい。っていうのを寺山修司が言ってた。

それはこうやってデジタルの上だとしても残るし、最終形しかない死体とはちがって言葉を残せば今の自分の墓場がそこにあることになる。それならつまんないことでも書いておきたいなって思ってます。

だから誰かに見てほしいとは、また違った側面が強いのかもしれません。でも、もちろん読んでくれたら少し恥ずかしいけど嬉しくもあります。突き詰めると、わたしは人と考えを交換することが好きなのかもしれないです。

 

でも、単に小山田咲子さんっていう方のブログを書籍化した本があってそれが大好きなことが大きいです。それが書籍となったときには小山田さんはもう他界していて、でも読んでいると

彼女の考え方や感情を身近に感じられて生きてるようにも感じるんです。

心配性でケチなんで、わたしもなんかあったときのために、です。

 

あとは何かを残そうって前提で物事をやりたいからです。写真がインスタグラムになって、恋人との写真はすぐ消滅しちゃいます。消滅したら、はいすぐ次です。なかったことみたいに。わたしはそれが本当に悲しい。言いようもなく悲しい。平然とやってるんだかやってないんだか、正直わけがわからなくてこわい。

写真が写真だった頃、破いたり燃やしたりするワンアクションが感情と直結していたんだと思う。それがないのは、危険でもある気がする。

または写真をこっそりとっておいたりとかするの、絶対に消さない感情と同じ末路を辿る物質があるって意味のあるとだと思う。

わたしの周りで起きてる、写真や言葉との向き合い方が 残す ってこととはかなり違うのを感じ取りながら流れていってしまうのは不安になるから。

だから逆に何かを残そうとする人たちには感動する。アイドルのライブだとか。人の記憶を頼りに、それを信じて何かをする姿には感動する。記憶は消せないものだから。

わたしは何もできないけどできるだけ、そういう人たちに対して少しでも誠実に向き合いたい。だから厳かに軽やかにこんなことをしてます。