わたしは対人関係が得意な方ではなくて、男子、女子、大人、子供、動物、はたまた無機物とどう関わればいいのかピンとこない。
小さい頃、わたしはほぼしゃべらなかった。しゃべるのがもったいないことだと本気で信じてた。でも、よく可愛がられた。祖母から、ピアノの先生から。特別可愛がられたとは思う。
左右を覚えられなくて、右左は小学生くらいまでわかるふりして過ごしてたし時計はいつまで経っても読めなかった。つまりかなりのバカだった。
泣かないし、話さないし手のかからない子供だったらしい。じっとしてられる子だったらしい。言葉を覚えるのは遅かった。
家族は、特に仲が良いわけでもない。いいことをしてもらった覚えはあまりない。
ファーストフードは多かった。出かけることは少なかった。母は今も昔も一生懸命だったと思う。対して父はすぐ機嫌が悪くなる厄介な人なのは今も変わらない。金遣いが少し荒い祖母とはよく出かけた。
家族の思い出みたいなものは、ないように思える。正直尊敬してもないし、わたしはどっかから自我を引っ張って形成されてった。
最低なのかもしれないけど、パチンコで負けると父は機嫌がクソ悪くなって帰ってくる。母はそれにヒヤヒヤする。すごく気を使う。姉は母に似ていて、同じような感じで。
でも、わたしは父のそれを苦に思ったことはない。そんなもんだと思う。特に嫌でもない。
母と姉はずっと我慢してきたという。今もずっと何かに我慢してるらしい。夕飯の時に姉が会社の悪口しか言わない性質はそこに起源があるなら、不憫だと思う。
わたしはある時期からものすごく映画を観出して、ご飯も食べるものないがしろで見てたくらい没頭してしまったことがある。読む本も、好きなものも、どんどん家族と離れていった。どれも心から好きだけど、理解はされない。
気持ち悪いって言われたことある。
でも、家族から離れてそれ以外の人に映画をたくさん観ててすごいなって言われることもある。ちょっと場所と人を変えるだけでこんな簡単に、理解を得て認めてもらうこともある。なら、それでいいと思う。
要は家族との折り合いをつけることは、外部にヒントがあるのかもしれない。なんだってそうか。最近、わたしはちょっと楽になった。