駄文の溜まり場

最近なんでもすぐ忘れるので

はま寿司であぐらかいてる女子高生

 

 

 

見た目はずっと幼い方なんで、ずっとあんまり変わってないです。手足と顔がむくむくしてて、面長で童顔なんで見た目はまだ女子高生と変わんないんだと思ってます。あと半年で大学四年間が終わるって考えたとき、高校生だった頃からほぼ四年間が経つっていう事実がすごくこわかったです。数字になると、年月って重みがあるなと。

 

はま寿司であぐらかいてる女子高生は四人組の女子で、その中の一人は機嫌悪そうでいたくてここにいるんじゃなさそうなのに寿司食っててそれが羨ましかった。

どうかこの子が不機嫌であり続けることができますようにって思うと同時に媚びへつらうことばかり得意になり、笑ってばかりでいつもニコニコしてるねって言われる自分がいるなと思いました。

誰かに媚びることと、媚びてるのかそうじゃないのかを自問自答することが感情の整理をつけるときに増えました。

もう女子高生だった頃の記憶は思い出です。いろんなことが変わって、変わらなくて、大事な出会いもして、それでもなんも変わってないようなという感じです。

学校はなんか嫌で、家庭もなんか嫌で気にいることは全然なくていつも不機嫌で寝てばっかだったわたしはどんな風にはま寿司食べてたかもう思い出せないです。きょくりょうの隣のはま寿司、確かにみんなで行ったよね。

桜美林みたいな中途半端な大学に行って、中途半端な人生しか送ることができないって言われたけど今は笑えることもあります。中途半端に楽しんで、悲しんでたりします。少なくともあのときになかった居場所は今はあるし、あのときにあった居場所はもうないんです。それだけのちがいです。

未だに高校の集まりとか行って楽しかったな〜〜最高だったな〜〜とか言える人に距離感を感じしまうのはそういうことだと思う。わたしは不完全だったし、今もきっと不完全で、不完全のままでも過去の自分を救ってあげないと気が済まなくて切羽詰まることもあります。

 

今、出会えてる人にあの頃に会えたらなって思います。この言葉をもっと早く浴びたかったなとか。もう家庭がつくれる年齢なのに、この人がお母さんだったらとかお姉さんだったらとかお兄さんだったらとか毎日一緒にご飯を食べて暮らせてたらもっと豊かだったのかもしれないなとかそんなことばかり考えてるのは未熟だとしか言えないね。共同体をつくる側に徐々になってくのに、子供扱いされると安心して嬉しくなっちゃうね。読んでくれてありがとうございました。