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駄文の溜まり場

最近なんでもすぐ忘れるので

君のぜんぜんぜんせ〜〜

 

 

 

君の名は。を見て思ったことを

 

まず、秒速が自分的には苦手な作品で。あんな繊細な部分を見せられてるというのが、なんか、どうも受け入れ難くて。

君の名は。はどうなんだろうと思いつつもとりあえず見に行ってきた。

 

タイトルの入りで明確に物語のはじまりを提示し、それに加えてメインテーマを流すことでもう一度序盤で盛り上がりがあった。

最初の方でオープニングみたいなのあったけど、これがまた見やすい。受け入れやすい。自分たち若年層、言い換えるなら圧倒的テレビ世代に対して見やすい映像。そういう印象を強く受けた。あまりに映画っぽくない。テレビ。でも、やっぱりテレビは見慣れてるから映像として非常に受け入れやすい。上の世代の人たちはどう捉えるんだろうか。気になる。

ただ、そこで安っぽい(といったら本当に失礼…)映像を見せて観客を掴んだあとに少しずつ新海監督の世界に誘われていく。ほぼ無意識のうちに少しずつ。通俗的なものからそれとは相反する作家性・芸術性といった要素を持った映像に入り込まされる。大ヒットしてるエンタメ作品だけれど、確かに作家性がそこにはある。かんじ。

 

君の名は。では登場人物がよくわからない。動機がよくわからない、入り込みきれないとかそういうことを言われているのをよく耳にする。自分もそれは感じはした。特に、入り込みきれないっていうのは。

エンタメという点を差し置いても、登場人物が展開に向かって都合よく動きすぎているような。でも、瀧君と三葉も他のキャラクターたちも親しみやすい。親しみやすいから、なんか応援できる。でも深くは入り込めない。これも登場人物のつくりが大勢の人の心を掴むようなものにされているからなのかな?と感じた。大勢に好感を与える個性なんて、滅多にない。それってすごく難しいことだから。だから、好感はあるけど魅力的ではなかった。

現実の生活でも、いいひとっていいひとなだけでそれ以上語ることないじゃない。欠点だとしても何かあった人の方がおもしろかったりするじゃない。

君の名は。において登場人物が担っていたのは、大勢からの好感と応援したさだと思った。商業(大勢からのウケ)と作家性を両立させるために。

では、作家性又は作り手が商業との兼ね合いの中で絶対に伝えたかったようなテーマはなんだったのかと考えると、男女の巡り合いだと思った。SFに包まれているけれど、巡り会うべき2人が存在し、どんな困難も運命も捻じ曲げてでも結果巡り会う話だと思った。この話で描きたかったのは、そういった出会いの美しさだと思う。その絶対的な運命性を表現することが一番だったのだと。

だから、瀧君も三葉もその運命性に動かされて物語の都合よく動く。のかな。

その美しさを伝えるための物語。大ヒット御礼ということで多くの人に届いてると思う。たぶん。