駄文の溜まり場

最近なんでもすぐ忘れるので

小籠包になりたい

 

 

 

人前でもの食べるのが苦手で、それは育ちの悪さが滲み出てしまうから嫌なのが大きいんだけれどそもそも口が小さい上に喉が細いから食べるの遅いからっていうのもあります。だからそのぶんお酒飲む方が好きです。

 

あと、食べ物の食べ方でとやかくいうのが倫理的によくわからなくて食べ方でお行儀が悪いとか不快感を与えるということがうまく理解できない。お箸の持ち方とか(直したけど)肘つくなとか、別にどうでもよくないですかね。人が生きるための行為に他の意味を付随させること、もっと慎重になってもいいんじゃないですか。汚いって思う前に、どうして汚いって思うかなんて考えないんだろうな。考えれば考えるほど、別によくない!?ってなっちゃうからよくわかんないです。

 

 

自論を持って汚い食べ方の人をかっこいいなって思っちゃったことへの言い訳ですただの。

せっかくだからそういう人をおもしろいって思った方が、豊かな気がする。

 

 

 

 

観た映画2018ねんはじめ

 

特になんか色々と思ったやつ

他にも色々と観たよ〜〜。

 

 

 

 

 『マンハント

 

予告編何回も観てて楽しみにしてたやつ。福山雅治そんな好きじゃなかったのにいいなって思ってしまった。福山雅治ともう1人の強すぎる弁護士役の人のアイドル映画みたいだった。でも、映画内の装置がどんどん稼働してそれを2人が使いこなしていくのがすごくおもしろいし映画が2人を支配するのと2人が映画に支配されるのとがせめぎ合っててその結果とても魅力的に見えてくるのが楽しかった。展開がなにかとやばいのと他の登場人物の薄さと助演の女優さんカラコンしてるしやる気ないだろって思ったりで色々とアラはあったけどそこも含めてとにかく勢いがあって劇場で観れてよかったなって思った。

福山雅治が刀使って敵倒すとことか何度でもみたい。

 

 

 

『15時17分、パリ行き』

 

実録物が苦手だからそういうのあんま観に行かないんだけど、イーストウッドっていうおじいちゃんが好きだからちゃんと観に行ったらものすごく変で境地に達してるな〜って映画で鑑賞後も後引く感覚が残りました。予告編とかCMで予想するようなパニック映画としてのものではなくて、とにかく日常と個人に着目してる映画だった。

町山さんのラジオで聞いた空白部分が多い盆栽みたいな映画っていう例えがとてもしっくりきてて、その空白部分っていうのは観客ひとりひとりとのあまりにも個人的な部分と交わり得るものであるし、映画を観てる時も観た後も自分の価値観と混ざり続けて観るたびに違う顔を見せる映画になっているんだと思う。一回しか観てないからまだわからないけど。

それってエドワードヤンの映画と観客の距離とも似ているんだけど、観客に客観させることでその方面に向かわせるエドワードヤン(アンゲロプロスとか長尺の映画撮った人の映画もそんなだった)とアプローチの仕方は全く違うのに感覚は似通うっていうことが新しいなって思った。わたしがそういう映画を知らないだけかもしれないけど。

エドワードヤンらがロングショットや情報の多さや客観という部分に観客を置くっていう抑制した演出で為した個人的な部分を想起させざるを得ない感覚というのとは違ってた。わたしはそういう映画が大好きなんだけど、今回のイーストウッドの作品も大好きな映画の一つとなってすごく嬉しかった。

 

前述(たぶん)した空白部分っていうのは素人の役者であることもそうだし、事実とフィクションの関係の新たな問い方というのも大きいと思う。多くの監督がフィクションとノンフィクションの狭間や混じり合ったり交互に写すことでその違いと境界を題材にしてきたけれど、イーストウッドは本人たち使用で追体験として映画を撮って、違う方面からその境界を問いかける形にもなってて…。なんかもうとにかくすごいんだけど映画自体はとにかくシンプルでびびる。それなのにこんなに感想言えることにもびびる。2年に一回は新作を発表してるイーストウッドおじいちゃんだけど、今の時代で世界にこういう作家がいるのって重要だと思うからいつまでも生きて映画を撮って欲しいなって思ったからまた二年後を楽しみにしてます。

 

 

 

『悪女』

 

韓国映画のレベル高すぎてとても満足した。スタイリッシュアクションってうたってるやつ、ゲームのボス戦みたいで楽しかった。ていうかぴーおーぶいの多さで全体的にゲームみたいな映画で、そういうのに慣れてる世代であることをとても自覚させられた。主人公かわいそうすぎるしエゲツない展開もいい。もし日本版だったら天海祐希あたりが演じるであろう女上司もめっちゃかっこいい。韓国の映画の方が元気だなーって思ったし映画のレベルが高いのは文化と文化を支える国の形態の良さも表すからお隣の国はすごいと思った。韓流アイドルもかっこいいし。

 

空海

 

ツイッターでも書いた気がするけど途中で染谷くんなぜかあばれるくんに見えてくるしで全然おもしろくなかった。途中でRADWIMPSの曲流れるのも苦笑いするしかないし、ミステリー的な感じで空海探偵が解決してくみたいな構成なんだけど空海自体の活躍も明快な推理もなくて、頭悪そうな詩人の相方歩きながら解明した事実しゃべってるだけだしそれ観ててもおもしろくないしでつまんなかった。ていうかあんな相方バカなんだから空海が頭良くみえてすげーってなるのも当たり前なんじゃ…。って感じだった。

でもチェンカイコーの長回しは本当に綺麗でずっと観てられるし、展開に合わせたライティングの変化とかは世界一綺麗だった。チェンカイコーの「覇王別姫」が本当に大好きな映画で、空海もおもしろいのかなーって思って観たら物語とチェンカイコーの作家性とか性質が剥離して交わってなくて何見せられてるのか二時間ずっとピンとこなかった。空海好きな人ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

2017年映画まとめ

 

 

【前置き】

最近忙しかったので新年明けてから遅くなってしまいました。喪中なのでおめでとうは言えません。

 

2017年は映画を観ない一年でした。上半期がゲロ吐きそうなくらい忙しかったのと、その反動で下半期はたくさん遊んでいました。

 

ですが、映画に戻ると久しぶりな監督の作品が日本にやってくる素敵な年だとも感じていました。ベトナムから6年ぶりにトランアンユンの新作、大好きなクストリッツァも9年ぶりに。ジャームッシュもお久しぶりでした。あの人の映画が観れるという感情は生活の活力に直結していると強く感じさせられました。

 

ランキングにするのは個々の作品に申し訳なさがあるので以下は気に入った映画の羅列です。途中で映画メモがとんだので何観たのかも何本観たのかもわからないですが300本、もしかしたら200本もいってないくらいだと思います。新作は特にそんな観てないです。

 

【気に入った映画たち】

 

パーティで女の子に話しかけるには

音楽がある作品は特に映画館で観たいので行けてよかったです。黄色い宇宙人が個人を尊重!っていうところが一番好きなんだけどここを覚えてる人いたら教えてください。

渋谷ヒューマントラストで観たいのですが、天井がとても高くて本当にライブハウスみたいに感じました。ゲロがでてきた時点で、この映画おもしろいんじゃないかとわくわくしました。ゲロが活躍する大好きな映画では『恐怖分子』

『マジカルガール』などがあるのでゲロ映画はハズレがないのかもしれないです。

 

坂本龍一コーダみたいな題名のやつ

教授こと坂本龍一のドキュメンタリーです。YMOの東風も少し流れます。教授が愛しいので100点です。ドキュメンタリーとしてはよくわかりませんでしたが教授を見る映画として価値があります。教授がかわいい、かっこいい。

被災地で戦場のメリークリスマス弾くシーンが素晴らしかったです。人間が如何なる状況下でも美しいと感じる心を忘れないというメッセージがこもった(わたしはそう解釈している)戦場のメリークリスマスという映画を体現した楽曲を被災地という状況下に置かれた人々届けるということに深い意義を感じました。

また、原発反対を唱える映画を流す映画館の外の恵比寿の街並みではイルミネーションが輝いていたのもなんとも皮肉ですのでセットでお楽しみください。たぶんまだ上映してる。

 

③オンザミルキーロード

大好きなクストリッツァの新作でした。燃える人物、花嫁、動物、他にも数え切れないほどクストリッツァ特有のお気に入りモチーフの洪水に観ているだけで幸せな気分になりました。戦場であったとしても人を愛し、憎み、裏切るという普遍の営みが行われることに安心しました。

 

④たかが世界の終わり

三回観に行きました。評価はとても悪いですが作中の何かが自分の中とうまく混じり合っているので個人の見解としてお気に入りです。今年よく観たエドワードヤンとグザヴィエドランはアプローチこそ違えど類似する作家だという持論があるのでこの暴論を論文にしたいです。

空気を読む主人公とお兄さんの奥さんが出会ってすぐ通じ合うのを深度の浅いカットの切り返しと音だけで語るというのがすごいです。マリオンコティヤール?の目がでかいからできる荒技だと思います。

友達はオープニングで画面の端で赤い風船が飛んでいくカットが一番好きだと言っていたのですが、そういう演出がわたしも好きです。

お兄ちゃんがとにかくかわいそう。

 

⑤カフェソサエティ

ウディアレンが大好きというわけでもないので新作も観たりみなかったりですが、とても好きな作品でした。あり得ない照明で室内で長く長く伸びる影が印象を残します。なんだかとても上品な映画でした。

 

⑥カンフーヨガ

ジャッキーだいすき!インド映画だいすき!しあわせ!!!!!!!それだけ!!!!初日で観に行ってしまった大好きな映画

 

スターウォーズ

前作よりずっとすきでした。全部ルークのせいなんかい〜〜とはなりました。ツッコミどころは多かったですが、今までのものも惜しみなく切り捨てて物語を構築していくことが面白かったんだと思います。前作でハンソロがお亡くなりになられたことはビックリの感情でしたが、今回お亡くなりになられた方々はそれぞれ意味を為したものなのではないかと感じます。紫おばさんの特攻が示すような先の世代が受け継ぎ終え犠牲になり、ローズが特攻を止めて仲間を守るということは監督が示した作品つくりとも繋がってるのではないかと思います。知らんけど。

スターウォーズに関しては監督が作品をつくるということに関しての論評ばかりでつまらなかったです。にわかでいいので作品の裏側とかどうでもいいと思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々に映画観た

 

 

 

 

どうもこんにちは。この前やっと久々に劇場に行けて映画観ました。

「美しい星」という映画を観ました。それとオリヴィエアサイヤスの新作「パーソナルショッパー」も併せてみました。久しぶりに観るにはどちらも地にあしつかないもので、気分が悪くなりそうになったけど感覚の揺らぎを味わえる数少ないものの一つが映画なんだと思いました。

 

 

「美しい星」でメイン登場人物のひとりの橋本愛がバンドマンに痛い目に合わされる。恋におちている間はいいようにしか映らないけれど、それがただの虚妄であり、愛ちゃんの主観でしかなかったということが終盤にわかる。同じように他の家族も虚妄の中でしか生きていない。

 

SFを交えた家族各々の現実逃避の話であり、それぞれがそれぞれの問題に逃げたまま、自分に都合のいい解釈が導いた夢を家族同士で繋がることで自分にとっての真実にしていく。こんな家族間違っているようだけれど、信じきるという姿は気高くも見えた。自分が対峙している問題と本当に向き合った瞬間、夢が冷める瞬間こそ終わりであるのだと。その瞬間に家族も個人も崩壊するけれど、現在の多くの地球人の人々のほとんどはそういう生き方しかしてないんだとも感じた。最後まで現実の問題は何ひとつ解決せずに夢のまま終わるのが自分たちの終焉と重なるのだとも思って不気味だった。

 

家族全員が何かに夢を見出して、それが自分に都合が悪くなった時に宇宙人だとかなんだとか言い始める。宇宙人だのなんだのは彼らの逃げ道なだけであるように見えた。
SF的要素は都合の悪い現実への逃避と常に重なっており、真実と向き合う(生きること)と向き合わないことを描いている映画なのかなと。

 

それは宇宙人を信じるか、信じないかということで揺れるわたしたち、フィクションとノンフィクションの間で揺れるわたしたちにも重なる。嘘を信じ切ったままでも、フィクションから帰ってこなくても本当はいいのかもしれないね。

 

 

 

ていうか、亀梨くんこんなわけわからん映画に出るように(出さされるように?)なっちゃったのなんか悲しくない…?

 

 

 

 

ゴールデンウィーク映画

 

 

 

 

クレしん最新作

去年に引き続き、ゲストキャラが抱える悲しみに対してそこらへんの映画とは違った形の救済を提示してる。

去年というか、近年はずっとそれが通じてるなと。サボテンは観てないけど。

まず、異質であるもの(今回は宇宙人)を異質として扱わないこと。そこに優しさがあるなと。ロボとーちゃんでも、ラストでロボとーちゃんを同じ存在として認めて勝負するから泣けるんだよね。

何がどうで、どういうやつかというより。例えそれが宇宙人でもロボットであったとしても、そんな事実よりそこにある思いを野原家はいつも拾い上げているんだなと。

 

今回のやつネットではあんま評判よくないけどわたしは好きだったー。

ラストで安易に父と和解しないところがいい。和解できないことは切ないけれど、アニメの中でくらい関係は修復して欲しくはあるけどそれでもああいったラストにしたのは意味があるなと。

家族とわかり合えないなら、他のコミュニティに救いを見出したっていいじゃない。ってことなんだと思う。

家族が認めてくれなくて、他の人が認めてくれるのだったらそっちにいったっていいんじゃないのって。家族映画で家族を否定する(否定とはまたちがうんだけどうまく説明できない、、、。)すごい作品だった。

 

 

 

 

コナン最新作

平次がかっこよかった。最近アクションがすごくて、そのアクションがだいぶシュールでじわじわくるんだよね。でも観てるときはコナンくんかっこいい!平次かっこいい!ってなるのがコナン映画のすごいとこなんだよね。でも、観終わって冷静になるとアレ変だったなとか思ってじわじわくるんだよね。

テンションで乗り切る感じ、それにこっちも乗せられるっていうのは作品愛とシリーズという利点を生かしまくった荒技だなと…。

ただ、あの殺された先生とゲストキャラの紅葉さんの関係とか。先生が抱えてた初恋とかそれが報われなかったこととかもっと掘り下げてもいいんじゃないかと…。

今回は和葉映画だから、ライバルの紅葉さんがあまり目立っちゃダメだったんだろうけどそこでドラマを作れば(一応)作品の軸となる事件に深みができたのにな。

でも、いまのコナン映画にはそういうの必要ないんだろうなっていうのもわかる…。アクション路線もおもしろいし毎回だいすきだけど、今回はもう少し練ればすんごい奥深いコナン映画になるかもしれない要素がたくさんあった気がして、そういう路線になっててもよかったんじゃないかなとか思わされた。

でも平次と和葉と紅葉さんが最高に最高だから結局ひゃくてん〜。

 

次は灰原映画だったら個人的に嬉しい。

 

 

 

 

 

カルテット4話くらい

 

 

 

 

まきさんが席を立っていた時に演奏を弾く振りをしろと告げられていた時のやり取りがすごかった。

泣いちゃうすずめちゃん。俺が断ってくるという家森さん。家森さんが名乗り出るのがまたいい。

 

 

 

 

家森さんは普段は情けないけれど、誰よりも社会的な意味を付随させずに的確に物事を見れる人である。しかも良心を持ってそれを行える人情味溢れる人物だ。それが故に結婚・仕事などの社会を形づくる要素にはめっぽう弱い。彼の魅力の長所と短所は常に表裏になっていて、相反する要素の間にあるのは葛藤であり、矛盾であり、それこそが人間性の正体である。家森さんの人物像はまさにそれだ。

そして、それと間反対にあるのが別府さん。社会を形づくる要素、家族・仕事・役割から物事を見ている。ゴミ当番のエピソードなんかは、彼のそういった思考がよくでている。物事をそういった誰にでもわかる要素でしか見れない人は人並みであり、表現をしても誰かと同じにしかなれない。別府さんがプロになれなかった理由はそこにある。でも、要素に囚われるが故に家森さんのような人よりは具体性と計画性をしっかりと認識しているため社会に出て自分の居場所を見出している。一言でいうなら、現実と向き合っているのが別府さんの長所。そしてこれは家森さんと同じように、相反する要素の間で揺れている。向き合っているが故の長所と向き合いすぎているが故の短所によって別府さんはつくられている。

家森さんと別府さんは間反対の人間で、男性陣のおもしろさはそこだと思う。

 

 

女性陣も同じように、まきさんとすずめちゃんの関係も間反対の要素を含んでいる。だが、まきさんもすずめちゃんの物事の視点・考え方はお互いによく似ている。

例えば、すずめちゃんのお父さんが死んだ時に、すずめちゃんは逃げたがった。すずめちゃんは社会・世間の目に痛めつけられ、そういうものと一線を引いて今まで生きてきた。すずめちゃんがずっと求めていたのは家族という社会を構成する要素の中にいる自分を騙したひどい人間(すずめちゃんのパパ)ではなく、どんな関係性のどこのどいつでもいいから自分を救ってくれるひとの存在であった。すずめちゃんにお父さんから逃げていいと告げ、家族という呪縛から救い出してくれたのがまきさんであり、すずめちゃんに魔女ではなく一人の人間として向き合った初めての存在だった。

前途した家森さんのように、まきさんもすずめちゃんも社会という枠にとらわれずに物事を考える人間だ。このように、カルテットドーナツホールは社会からのはみ出し者で構成されている。社会とうまくやれず、関わり方と役割について疑問を抱き続けてきた者たちで構成された集合体だ。ただ、別府さんだけは3人とは違う。なんとなく好きな時に好きなように暮らす(突然七輪で焼肉始めたり)3人とは違う。別府さんはゴミ出し当番を決め、役割をつくろうとする。カルテットドーナツホール内に対し、社会という仕組みを取り入れようとする。だが、別府さんのこのこうるさい行為がなければ生活は成り立たない。別府さんがいなければゴミはたまり、ゴミ屋敷になり検挙されてしまう。やはり、社会を見ようとしない人間に生活を営む権利は与えられてはいない。

 

話を女性陣の関係性に戻すと、ふたりの間反対の要素は嘘に対しての立場だ。まきさんは夫との唐揚げ事件からもわかるように、嘘に対して敏感である。嘘のない、正直な人間に救いを求めていた。まきさんがすずめちゃんを家族という呪縛から救ったように、まきさんもすずめちゃんという正直で純朴な人間と関わることで救われていたのだ。だが、すずめちゃんは嘘からまきさんと知り合った。まきさんが最も嫌うものをきっかけに出会い、まきさんが求めていたものを与えた。騙すか騙されるかの立場の違いがふたりの間反対である。騙した人間に救われるすずめちゃん、救われた人間に騙されていたまきさん。罪を犯したすずめちゃんをまきさんは許すのか、すずめちゃんは罪をどう償うのか。女性陣ふたりの関係性は許すか、許されるかを含んでいる。

 

騙しつつ、騙されつつ救いあっていたふたりの関係にヒビを与えたのが淀みちゃんこと吉岡里穂演じるアリスちゃんである。わたし自身、このドラマにおけるアリスちゃんはただの綺麗どころだと思っていて、こんな役割を担う人物になるとは思っていなかった。綺麗どころとしてのアリスちゃんのキャラクターはすごく好きで、吉岡里穂もよくあっていた。けれど、新たな役割を与えられた人物像に吉岡里穂の演技・存在が昇華し切れてないと感じてしまい、なんだか残念だった。そりゃ松たか子満島ひかりに囲まれていたら存在は薄れてしまうかもしれないけれど、負けないでいて欲しかったなぁ。でも吉岡里穂好きだから女優さんとしてこれからも応援し続けます。

 

 

そんなわけで来週も楽しみです。毎週が楽しみになるので、好きなドラマがある生活ってすごく素敵だなって日々感じてます。

 

 

 

 

 

総括

 

 

 

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知らないひとからなんか言われたり気持ちわるい思いもたくさんしたけど、それ以上に素敵な人たちともっともっと仲良くなれたよき一年でした。当たり前にやってたことができなくなったのは悲しいことだったけども。

 

そしてそして、歳上の方にお世話になることが多かったいちねんでした。高校の頃からバイトしてたせいで歳上のお友達は多かったんだけども、ちゃんとした?歳上歳下の関係を築くことの大切さがわかりましたかもですたぶん。

 

あと同じバイトが続いたのが驚き。自分でも絶対すぐやめると思ってたー。

 

たいしたことないこそいちばん偉大だから今年もがんばります。